ともひろブログ

車好き、運転好きのともひろのブログです

オーラ

あの人はオーラが違う、とかオーラがあると良く聞く。


わかるようではあるけど、オーラってなんだ。その人から感じる感覚。自分の気持ちに影響を多く与える相手から伝わってくる何か。ひょっとして伝わってきてるのではなく自分でそう捉えているという事かもしれたい。緊張する人しない人のように、同じひとからオーラを感じる人感じない人と別れるだろう。


いい意味で使われる事がほとんどだと思う。自分にもそういういいオーラはないかな?と思う。どうしたら「あの人はオーラがある」とかいい意味でいわれるようになるのかと考える。


見た目や立ち振る舞い、普段の行い、考えている事、どんな人にも気づかいが出来る人。

そんな人がオーラをまとうようになっていくのか。生まれつきの背景もあるのではないか。


望んでなるものなのか?それも疑問がある、そういう人はそういう立場に立たされる環境があり、それをみずから受け入れて生きている人なのではないか。そういう人は返って「普通の人になりたい」と言ったり、思ったりする人もいるだろう。

テーマ

ラジオを聞くと必ずテーマがある。


家族を含め、人と話す、交流する時テーマが大切か。


ラジオで1人の人に焦点を当てて取り上げたり、ゲストとしてきてもらい話しをすることがよくある。結構面白い。


テーマに対するいろんな人の反応、言葉がある。いろんな意見や言葉もテーマに沿ってのこと。ゲストで言えばゲストがテーマになっている。


これも人にとっては当たり前のことなのだろう。


家族も結局、関係性からこうあるべきだということから感情や会話があったり。共に幸せな関係性や日々を過ごしたいとの思いから接し会話する。テーマを中心とした関係性と言えると思う。


感情とか知性とか人の役に立ちたいとか人は何かしらのテーマを持って生きているようだ。


いつも怒っている人は怒ることがテーマになっているんだろう。本人が意識しているかどうかは別として。


テーマにそって自問自答したり誰かと会話、シェアしたりする事で何かを感じたり気づいたり認識したりする。そしてそれらが次の瞬間から行動指針になったりする。


結局人は誰かとの間で何かが生まれ、考えや行動に影響をうける。それは1人の時でも自分の中での会話により同じ様な事が起こるだろう。そこに意識するしないにかかわらず何かしらのテーマがあるだろう。その関係性の間のテーマは意識しないより意識した方がいいと思う。人とのかかわりの上手な人は自然に出来るのだろうと思う。


自分のテーマを認識や意識することで人生か変わるだろうし、成長も違ってくると思う。


ネガティブなのかポジティブなのか、目標や目的、夢、希望、恨みや憎しみ、不安や悩み、誰かに認めてもらいたかったり、愛されたかったり、甘えたかったり。


テーマは人生において一本筋の通ったものもしくは通すものと、気分や時間や体調や関わる人などにより変化するものがあるようだ。


テーマってすごく大切だな。

思いは言葉に

思いは言葉に

このフレーズに誘われてはてなで書いている。

書くとはなんだ?小説、ブログ、日記、ほぼ日日記、手帳。

言葉にする事が大切であるようである。しゃべる言葉と書く言葉、話すように書く。

書いたことに対して相手が必要か?自分以外で。日記はなぜ書く?ハガキ道はなぜ書く?
誰に対して書く?

日記は少なくとも自分に対して書くものか。
少なくとも話すことも書くことも相手、相対になる人が必要だろうと思う。

ではテーマは必要か?書いたり話したりするにはテーマがあると便利だと思う。ぎゃくにテーマのない会話や文章は存在するか?

人間にとってテーマや相対する相手(自分という相手も含めて)は絶対必要なもののようでもある。

ハガキも書けばハガキが相手から返ってくるので楽しいがやめると相手からも来ない。年賀状も同じ。

結局私は相手から何かしらの返事、相づち、返答を求めてる。嫌な返事はいやだけど期待する返事は欲しい。

ただ、自分というものを出して期待する反応はあまり出ない。人とのつながりで自分には魅力はあるのか?あってほしくて、気がつきたい。気がついたらおもしろいだろう。

かたずける

かたずける。


かたずけられない人がいる。意味がわからない。その人はその人と思うかもしれないけれど、直接関係があるとなると話しは別。


これは、性格とか考えかたとか、能力の違いみたいなものと同じ様なものか。


少なくともせめることは良くないようだ。

ここでもできるとをする、か、関わらない努力をするか。


結局世の中も同じようで誰かや何かをせめてもよくないように思える。要するになぜそうなのかと疑問に思い、しかも受け入れがたい心情になる人や事柄、振る舞いのこと。


こういうことは考えない方がいのか?


それも私の責任と思えば、もしくは私の責任ととらえれば、自分が変わる事が出来るきっかけになる経験がある。


また人の辛さや苦しさや苦労の内容が分かってきたりする。そうすると自分は変われた、成長さたかな、新しい自分になれる、そんな体験がある。大切なことだと思う。


そして感謝へと移っていくかなと思う。


かたずけられない人との関わりは自分が変わるきっかけだと思えばいいな。



このある種のカオス

内田也哉子の謝辞が話題「なぜか涙が」「すさまじい」


というタイトルの記事があった。

内田裕也さんの葬儀の時の謝辞の内容だった。

カッコイイ。なぜか涙が、確かに。すさまじい、なるほど。言葉の言い回し、使い方、感性などうらやましい才能と思う。

言葉の力とは素晴らしいものがあるな。

エフワン

エフワンは面白いと思う。しかし通常のテレビで見れない。これは面白くない。ユーチューブも英語ばかりで何を言ってるかわからない。結局、ハイライト映像と、関連記事を読むところまで。コースに見に行ったこともない。けどホンダが出ているというだけで気になってしまう。エフワンが好きというよりホンダが好きなわけだ。でもバイクではなく車がいい。なかなかレースを見にいくことも、有料テレビで見ることも、英語を理解することも難しい。


何が面白いのか?やはりセナ、プロ時代と重ねてしまう意識があるからだと思う。あたりまえか?


運転も面白いもので、コースを走る車の映像も面白い。運転とは不思議な面白さがある。

そういうものとの重なりもエフワンの面白さにつながっているかとも思う。


フォーミュラeもあるけどユーチューブで見てみるかぎりではあまり興味がいかない。しかしなんでもそうだかど、実際に見てみると面白く、興味が湧いてくるのかもしれない。

言葉とは何か?

令和の時代は言葉の時代


今日ラジオを聴いていて思いついた言葉。


高橋源一郎さんオススメの哲学者、鶴見俊輔さんのもうろく帖の話しを聞きながら思った。


小説「宝島」の話しもしていた。


とても興味深く聴いていた。


人の情の流れ、人間模様は面白いものだな。


またそのさまを文章で表現すること、読むことも面白いのだなと。


書くことの良さ、大切さを昨日ふと立ち寄ってチラッと立ち読みした、菊池雄星の本で感じた。


以前、メモをよくとる子がいて、書くことは大切だなと思ったことがある。


マッピングをしながら話しをしたり、人の話しを聞くととても話しの中身、流れがわかる。手に取るようにわかる。


日記などは自分を知り、自分を方向づけていくのにいいのかもしれない。


ハガキを毎日書いたこともある。何のためにやっていくのかわからなくて続いていない。


とにかく、日記って何の意味があるのかといつも疑問があった。


自分を客観的に見つめる。かたちずくる。方向生を定める、さだめやすくする、定める手助けとして、手書きの日記もしくは、ブログなど書こう。