ともひろブログ

車好き、運転好きのともひろのブログです

車の中で人生を思う

なぜ人は生きる?


生まれてきたから?


生きるように強制された?

生きるように矯正された?


少なても死のうとはしていないだろう。


でも人はいずれ死ぬし、みずからいのちを断つこともある。


望まないで行ってしまうこともある。


人生って何?人が生きると書く。


生きるとはなんだ、


お金をもらうことか?商売することか?


人それぞれこれが私の人生と思うこたがあるだろう。本当にそうかどうか疑ってみたことがあるだろうか?


生きるとは死なないこと。


なぜ生きるのか?


やる事があるから。

それは人それぞれ違う。


情熱ややりがいを感じながら生きたい。

常にそうでなくても。

違反してしもた。

なんと2週連続違反、はじめは2トン進入禁止違反、2回目は信号無視。


なんともビックリ‼️ゴールド免許やのに。


そこでいろいろ考えた結果、違反をしないということがハッキリと意識されていなかったことに気づいた。


事故をしないということはハッキリと意識して行動に移していたけど、違反をしないことは明確に意識されていなかったことに気づいたということです。


からかは無事故、と共に無違反を意識して行動、運転していきます。


そこで思ったのが曖昧だった道路標識をちゃんと見て意味も調べて覚えて行動に移して行こう思います。これは大切やな〜と思いますのでやっていきます。


そこで今回の2トン進入禁止は


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に近いもので、道は車2台通れそうな広い坂道。


川沿い(川は左手)の道を左手の側道の坂道に入りその先の信号で止まる時に警察が寄ってきて、違反切符きられました。


坂道に進入する時通りすぎながら看板が目に入り、「アレ?ひょっとしてここ2トン進入禁止?」と思いつつスルーした瞬間目の前に警察。


「ひょっとして、、、」と思っていると警察官がトラックの後ろに回り積載を確認してアウト。


まず道路標識をスルーすることがいけない。そもそもちゃんと道路標識を見て守る意識と行動ができていなかったと反省し、道路標識をちゃんと認識して守るようにしていきます。


ちなみに上記の標識は


「大型貨物自動車等通行止め」


というそうです。2トン車進入禁止では無く積載量が2トン以上が通行止め。なので2トン車でも1.95トンであれば通行してもいいようです。私のトラックは最大積載量が2トンでした😓

運転しながらラジオを聞いて思った、聞き上手。

今日のNHK日曜討論はがんに対する内容がテーマだった。


医者、学者?、手術して仕事復帰している人、患者さんのケアをらするNPO法人代表の人、ケアをしている人などが議論していた。


最初から最後まで聞いて思ったのは、最初から最後まで同じ人が同じ意見をのべていたなということ。


逆に最初と最後で違ってたらそれはそれでおかしいかもしれない。でも議論したら新しい何かが生まれものではとも思ったがそれはまた別の機会に考えるとして。


1番共感できたのは、

「患者さんの気持ちに共感してあげること」「話しを聞くスキルが必要だ」

と言った内容の人の意見に1番共感した。


最後全員一言づつ話してたのを聞いて

「結局患者さんに対して頑張ってください」

と言っているように聞こえた。具体的な治療の事ももちろん大切だが心の整理や周りの支援が大切なので周りも話しを聞いて対処するので話してほしい、的な言葉ばかりに聞こえた。


ひとりの共感できた人以外は。


患者さんが話そうにも、相談しようにもできない、話せない気持ちや状態の事が理解出来てないように思えた。話せないから困ってるのに、話してください、言ってくださいではまだ足らない、ちょっと違うように思った。


それ以上に聞き上手な対応が1番大切なように思えた。


私は言えない人の気持ちも、言えない人のことがわかってない人の気持ちも両方わかる気がした。


大切なのは理解することや共感することというより、本人が喋る事によって心が軽くなり解放され、本人が新しい気づきを持って前向きな次の一歩を踏み出せる事なのではないかと思った。そのためのきっかけづくりとしての聞き上手が必要ではないかと思う。

自分のた・め・に生きる

それでも為に生きてるんだな。そう思った。


ラジオから聞こえてきた歌で「誰のためでもない、親のためでもない、国のためでもない、自分のために生きるんだ!」というかんじの歌が流れていた。高橋源一郎さんは今年のテーマ曲にしようかと思ってると言っていた。


自分のためには生きるんだなと思った。為に生きることはいいことだと思う。自分のためでも、他人のためでも、家族のためでも、ために生きることはいいことだと思う。


「人の為生きる喜び広げよう」


中学生の時天理教で教わり為に生きることは大切なことだなと思った。


48の今、為に生きることに少し疲れているようだ。どうもずるい人に利用され、自分アホやったなと思ったりもする。自分の意思がしっかりしていない限り、相手に悪気わなくてもこちらとしては利用されたような立場になることがあるようだ。


これもとらえようかと思うけど。少なくとも自分の意思をしっかり持って発言できないことにはどうも為に生きるといってもレベルが低い。


自分を愛せない、大事にできない人は他人も愛せない、大事にできない。逆もありでそう言われることがある。自分を大切にすることはイコールまではいかなくても、ある意味他人も大切にしているんじゃないかな。自己中イコール悪でもないだろう。他人に迷惑をかけることはすべてダメとまいいきれない。すべてはバランスか。


今日は歌を聴きながら「結局為に生きるんだ〜」そんな事を思った。脱力感はなはだしい私にひびいた。結局幸せに生きたいということだろうと思う。

リーダーシップ

リーダーシップ、この言葉を思うと思考停止のような状態になる。


リーダーやリーダーシップって必要?そんな思いが強く出てくるのでリーダーシップに対するポジティブな思いや建設的は考えの方向に急ブレーキがかかる。そして停止、考えなくなる。


とにかく面白いない。何がかというと、言われたり、支持されたりするのが極端にキライだからだと思う。なので自分がリーダーシップを発揮するなどと考えると、相手も嫌だろうとしか思えないのでやろうと思えない。


組織には向いていないんだろうな。以前はとにかく人や組織文化のようなものに合わせてきたけど今はやめている。自分の意見を言うように心がけている、以前より。そうするとなんととんでもないアホであることがわかってきた。自分のことである。


あまりにも人、物、事、他人の気持ち、世の中の流れなどいろんなことがわかっていない自分であった事に気付いた。


そもそも人と自分から話す事は基本しないし、人の嫌な部分ばかりをながめていた自分だったので、人や物事の本質が見えていなかったかもしれない。見ないようにしていたとも言える。人と極力関わらないために。


今はいい意味で関わるというか、いい面だけを見て話すようにしている感じかと思う。


事実を伝え、方向性を示すのがリーダーかもしれない、でもなんかつまらない。人の気持ちというものは大切なのだと思う。事実とやるべきことと、やる気や気持ち、モチベーションなどは関係性はあるだろう。


事実や目的や目標、方向性達成すべき目標、達成したい目標、目的。そういうことが仕事でも人生でもあると思うけどやはりそういうものを中心に仕事をしたり人生を送るのはあまりにもつ・ま・ら・な・い。つまらない!


つまる方が面白いというか、先が見えない方が面白いと思う。一緒にいる人は迷惑だろうけど。ダイソーの社長の記事に行き当たりばったりが好きだ、予算も数年前まで立てていなかった、と書いてあった。なんかすごいなと思った。いつも先を見通して着実にこなしていくことは大切でその中でも冒険、チャレンジがしたい。


結局リーダーというものには向いていない考えばかりが多くをしめている私の考方だな。


常に静かに生きていたい思いがあるが何かいい意味で共有できるなら人とのつながりを広げていきたいな。